約30年前の91年は6月、モスクワから列車でワルシャワに到着した。当時のソ連を旅行するには、国営旅行会社のインツーリストがコントロールしていて、それに乗っかると、ホテル代など超割高だが、簡単に旅行ができた。ワルシャワからは、1人になってしまうし、自転車の旅が始まる。はずだった。
1991年のワルシャワ
89年にベルリンの壁が崩壊し、一気に東ヨーロッパの民主化が進んでいった。その流れを受けてソ連も91年に崩壊した。(実際はどっちが原因などの詳細はよくわかってないけど)
ワルシャワの街も民主化の影響で、すごく賑やかだった。下の写真はソ連の置き土産、当時ワルシャワで唯一のノッポビルだった文化宮殿であるが、その裏手に闇市のような、なんでも露店で売っている店が広がっていた。
ただ、旧市街の中は、中世ヨーロッパの雰囲気が残る素敵な街で、30年後の現在とほとんど雰囲気は変わらなかった。
飛行機で到着
30年前はモスクワから列車でワルシャワに到着した。モスクワからの列車はシベリア鉄道と同じで、車体は大きく食堂車もあり、快適ではあったが、国境越えが大変だった。当時は自転車を乗せていたので、Tシャツと短パンで寝ていたら、国境でいきなり起こされ、自転車と荷物を持ってホームで待て!と追い出された。6月下旬とは言え、まだまだ寒く、凍える思いで1時間近く待たされ、コンパートメントに戻ることができた。しかも、車輪の幅を変えるのでコンパートメントの中でも待たされた。
今回は、飛行機で到着。しかも、西ヨーロッパと遜色ない空港だし、空港からも街まで直通列車があり、街までの移動もスムーズだった。
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